横浜DeNAベイスターズが調子良いので前回優勝時の状況を調べる

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どーもゆー・です。今日はプロ野球について、書いてみたいと思います。僕のプロ野球歴はゲームとともにあります。ゲームで選手名を覚えて、魅力ある選手のいるチームのファンになったのは横浜ベイスターズでした。その選手は、ズバリロバート・ローズ内野手ですね。ローズのいた時代のベイスターズは、マシンガン打線と言われてヒットがほんとに途切れない超強力打線を形成していました。今日はそんなベイスターズが前回優勝・日本一になった1998年の状況を振り返ります。

Contents

横浜DeNAベイスターズ

リーグ優勝 2回
(1960年、1998年)
クライマックスシリーズ優勝 1回
(2017年)
日本一 2回
(1960年、1998年)
Aクラス 17回
(1960年、1962年、1964年、1969年 – 1971年、1979年、1983年、1990年、1997年 – 2001年、2005年、2016年 – )※1
Bクラス 51回
(1950年 – 1959年、1961年、1963年、1965年 – 1968年、1972年 – 1978年、1980年 – 1982年、1984年 – 1989年、1991年 – 1996年、2002年 – 2004年、2006年 – 2015年)
最多勝 80勝(1964年)
最多敗 99敗(1955年)
最多引分 17分(1979年)
最高勝率 .585(1998年)
最低勝率 .238(1955年)
最多連勝 10 (1964年、1967年、1968年、1998年、1999年)※1967年、1968年、1998年のものは引き分けを挟む。
最多連敗 14 (1955年、2008年)※2008年のものは1引き分け挟む。
最長試合時間 6時間13分(1998年8月9日対広島戦)
連続イニング無得点 46(2012年)
連続Aクラス入り最長記録 5年(1997年 – 2001年)
連続Bクラス最長記録 10年(1950年 – 1959年、2006年 – 2015年)
通算4500敗 (2012年8月24日の対巨人戦で、2リーグ制発足後最速の記録)
※1 2001年のセ・リーグの順位は、勝率順ではなく、勝利数順のため、勝率の場合はBクラス(4位)になっていた。
その他の記録
最小ゲーム差 1.0ゲーム(1964年)
最大ゲーム差 61.5ゲーム(1955年)
最多本塁打 194本(2004年)
最小本塁打 51本(1955年)
最高打率 .294(1999年)
最低打率 .208(1956年)
最高防御率 2.31(1971年)
最低防御率 4.94(1977年)
68暴投(2015年、ロッテオリオンズ〈1990年〉と並びプロ野球タイ記録)

出典:Wikipedia

1998年の状況

まずは開幕オーダーを見てみましょう。

1 中 井上純 10年目 27歳
2 遊 石井琢朗 10年目 27歳
3 左 鈴木尚典 8年目 25歳
4 二 ローズ 6年目 31歳
5 右 マラベ 1年目 26歳
6 一 駒田徳広 18年目 35歳
7 三 進藤達哉 11年目 28歳
8 捕 谷繁元信 10年目 27歳
9 投 川村丈夫 2年目 25歳

走力重視で井上純選手が1番で中盤より波留選手と入替。と5番のマラべ選手が中盤からは佐伯選手・中根選手と併用になるわけですね。ただしこのオーダーは長くなくシーズン終盤には、マシンガン打線の打順に替わります。

ベストオーダーはどうだったんだろう。

まず、この年はサードとショートの守備位置を入替しました。石井選手と進藤選手ですね。外野に中根選手が入って選手層が厚くなりました。ベストオーダーはこうです。

1番 遊撃手 石井琢朗

135試合 打率.314 174安打 7本塁打 48打点 39盗塁

やはり1番はこの人。堅実な守備力と魅力的なミート力のバッティングに定評のある選手でした。走力も抜群でこの年の成績にもありますが、1番打者としてのお手本のような実績です。色々な事情はあるでしょうけど、広島に移籍せずベイスターズで引退してほしかったですね。

2番 中堅手 波留敏夫

106試合 打率.273 117安打 2本塁打 39打点 12盗塁

「ハマの核弾頭」です。この年は脱税事件に関与していたことが発覚し、開幕から6週間出場停止となっていました。前年の1997年は2番に固定され.295の高打率を記録しているだけにもったいなかったです。金城の台頭もあり、森監督の時に中日にトレードされてしまいますが、もったいない選手でした。

3番 左翼手 鈴木尚典

131試合 打率.337 173安打 16本塁打 87打点 3盗塁

「ハマの安打製造機」こと鈴木尚典選手です。ベイスターズの3番と言えばこの人。97,98と連続で首位打者を獲得。この年もヒット打ちまくってますね。思うにローズとの相性が良かったのではないかと思います。後ろにローズがいることで打席にリラックスしては入れていた。良い流れだったんでしょうね。ローズ対談後は、4番になって不振。2番になって不振。メンタル面なのか打順が3番じゃないとだめなのかわかりませんが、全盛期はほんとにすごかったです。ただし守備はちょっと・・・でした。

4番 二塁手 ロバート・リチャード・ローズ

124試合 打率.325 152安打 19本塁打 96打点 2盗塁

ご存知「史上最強の助っ人」です。この年の成績はローズの普通の成績です。無茶苦茶調子が良ければ、1999年の成績(.369 37 153)になりますね。また最終年の2000年にも打率.332を記録しています。どれだけ年俸を要求しても、残留させるべきだったんでしょうね。ローズがあと3年ほどいれば鈴木の不調もなかったかもしれません。~たら~ればを言ってたらキリがありませんが、もったいなく思います。

5番 一塁手 駒田徳広

136試合 打率.286 155安打 9本塁打 81打点 0盗塁

「満塁男」駒田選手です。この人のミットさばき、ファーストの守備力は天下一品でした。元々巨人に入って新人の時代には、槇原選手、吉村選手と同期で3人とも背番号50番台だったため50番トリオと呼ばれていました。勝負強いバッティングも魅力的でしたね。巨人からFA宣言して他チームに移ったのは、今だにこの人だけのようです。

6番 右翼手 佐伯貴弘

108試合 打率.289 88安打 9本塁打 55打点 1盗塁

シーズン中は、近鉄から移籍してきた中根選手と併用されていましたが、佐伯選手の方が試合数が多かったので選びました。巨人の元木選手と並んで隠し玉をする数少ない選手です。この年から数年後には全試合4番出場も果たします。最終的には中日に移籍しますが、粘り強いバッティングとそのキャラクターで人気は相当ありました。

7番 三塁手 進藤達也

124試合 打率.241 94安打 14本塁打 54打点 0盗塁

守備力が高いです。毎年のごとく三塁に外国人を獲得しても、最終的にはこの人が三塁のレギュラーになってます。意外と2桁本塁打打っていてパンチ力もあります。この後の谷繁選手と並んで一発が怖い7番、8番です。

8番 捕手 谷繁元信

134試合 打率.254 117安打 14本塁打 55打点 1盗塁

強肩の捕手のイメージから、パンチ力のあるバッティングと好リードをする球界を代表する捕手になった人です。メジャー挑戦も話がまとまらず、当時の森監督との確執もあり中日に移籍してしまいます。中日では選手・選手兼監督・監督をやった人です。そのことから中日谷繁のイメージが強いでしょうが、優勝時の正捕手はこの人です。

9番 投手 斎藤隆

登板34試合 143.2投球回数 13勝5敗1S 防御率2.94

先発は、斎藤、川村、野村、三浦の4枚に戸叶が入って5人、中継ぎに五十嵐、横山、島田、阿波野、関口、抑えに佐々木という布陣でした。特に先発4枚は安定感がこの時期一番充実していたんじゃないでしょうか。中継ぎにしてもバランスが良くいい投手ばかりな上に勝ちパターンでの抑えは佐々木がいます。優勝するわけですね。一番勝率が良かったのが斎藤だったので選びました。ちなみに佐々木は、1勝1敗45S  防御率0.67という驚異的な成績になっています。

まとめ

この年の優勝の後、1999年にはチーム打率.294という驚異的な成績を残します。全員打ちました。全員キャリアハイだったんじゃないでしょうか。しかし3位に終わっています。やはり投手力が安定感のあるチームを作るのでしょう。

PS:このころから僕は、野球ゲームを始めました。最初にはまったのは、プレステ版のワールドスタジアム3です。しかしベイスターズはミートが高くパワーがローズまでBな上にチャンスに強いので打球が全然飛びません。当時友人と対戦で盛り上がっていました。友人は広島カープです。広島は江藤やら前田やら金本やらいてしかもロペスもいたと思います。よく負けてました。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

高校卒業後、九州に来て某3流大学を卒業後、ブラックなアパレル会社に入社し社会人しょっぱなから人生の厳しさを味わう。その反動でフリーターをして、現在の会社に就職。十人十色のビートが世の中ありますが、このブログはどんなビートを生み出せるでしょうか・・・