スポンサーリンク
どーもゆー・です。みなさん携帯電話持ってますよね?今では当たり前となった携帯電話ですが、普及当初は高価なもので、一部のセレブやビジネスマンしか持ってませんでした。今日はそんな携帯の歴史を時系列で自分のことも含めて紹介します。
Contents
携帯電話の原型は自動車電話?
携帯電話の構想は、電話機が考案されて間もない頃からありました。電波を使用して無線で通信でき、かつ人間同士が音声にて会話することが夢として描かれていたようです。当時の人はまさかこんなに普及して誰もが持つようになるとは思ってなかったでしょう。
日本で一番最初に携帯電話が登場するのは、1970年(昭和45年)、「人類の進歩と調和」をテーマに大阪府千里丘陵で開催された、日本万国博覧会の「電気通信館」で展示実演された電話線不要のワイヤレスホンです。重量は約550gで、この時、電気通信館では「カラーテレビ電話」も登場しました。ケータイ電話の一番最初の方式はアナログ方式で自動車電話です。
文字通り、無線機本体は自動車のトランクなどに搭載されていました。
ユーザが使うハンドセットは、無線機本体から車内配線され運転席の横脇に、アンテナは自動車の天井やトランクのフタに取り付けられていました。電源は自動車のバッテリーから供給です。 東京地区アナログ大都市方式サービス開始【セルラー方式】。アナログ大都市(セルラ)方式の自動車電話サービスが日本で開始されたのは1979年です。
無茶苦茶大がかりな携帯電話です。高額な契約金や通話料が払える一部の選ばれた人にしか持てませんでした。
ショルダーホンが発売1985年に何があった?
ずばり、電電公社民営化しNTTなりました。1985年は、NTTが初のポータブル電話機「ショルダーホン」発売したんです。その後、1985年に可搬型の無線電話として肩掛けタイプのショルダーホンが登場しました。カバンのような大きさで肩掛けベルトがあったそうですね。無線機本体だけでなく電池も一緒に運んだので重さが約3Kgもありました。昔の携帯は体も鍛えることができたということですね。

こんなもん背負って街中歩いてたら目立ってしょうがなかったでしょうね。
1987年には、ショルダーホンより小型化した携帯電話が発売されました。
こんなやつです。カラーも選べたんですね。
現在のように、手のひらに乗るようなハンディタイプの無線電話が市場に出てきたのは、1987年です。ここでようやく携帯電話と呼ばれるようになりました。初期の頃の携帯電話(TZ-802型)は重さが約900gもあり、サイズは約120mmX42mmX180mm(高X幅X厚)でした。一般人が持ってたらやっぱり目立ちますね。でも注目は浴びるでしょう。
1987年には、現在auのIDOや関西セルラーが参入します。NTTが独占していましたが、ここで崩れます。ただ、まだこの時点から1990年代後半までは、一般人に移動通信手段は普及しておらず、あるとすればポケットベルくらいなものでした。ちなみに僕も高校生の時持っていました。NTTドコモと東京テレメッセージの2社しかなかったと思います。僕が持っていた機種はドコモのこれです。

文字数は12文字くらいまでで、カタカナのみです。その前の段階では数字しか送れませんでした。ポケベルの番号は普通に市外局番東京03から始まる番号だったと記憶しています。当時コンビニで契約ができました。親を連れて行って契約した記憶があります。月々1500円くらいの基本料だったと思います。当時女の子と「タダイマー」とか「オヤスミ💛」とかやり取りしてましたね。カタカナ12文字で何回も電話でベルうちして、親にがられてそれでもやめられませんでしたね。ベル友なんで言葉も流行りました。付属の鎖を制服の胸ポケットに入れてました。現在のSNSやLINEの原型とも言えますね。
PHSの登場
その後、1997年くらいだったと思いますが、今度は携帯電話より割安なPHSが流行ります。通称ピッチです。これは固定電話の子機の仕組みを採用してたくさん基地局を作ることにより途切れず連続通話を可能にしたとかだったです。電柱にとにかくアンテナがたくさん一定間隔で設置してあって見つけるたびにここなら電波いいよね身たいな会話をしていました。また、家用にホームアンテナも別売りで出てました。すごく重宝しましたね。ただ、高速移動中(40キロ以上とかだったかな)や山奥はまだまだつながらず逆に地下鉄とかはピッチの方が携帯より強かったですね。
PHSと携帯電話は当初。双方向通話が最初できなかった
驚くべきことに、PHSと携帯は当初つながりませんでした。これも1997年の秋ぐらいに実験的にどちらからどちらかは覚えてませんが、できるようになったんですね。
最初はポケベルとピッチの2台持ち
ピッチのエリアの狭さを鉄の着信と言われていたポケベルでカバーしていました。ですがある段階でピッチでショートメッセージができるようになり、自然と解約していました。僕が初めて持ったピッチは九州に来てからで、アステムでした。天神の交差点とかで街頭販売をやっていて無料で配っていましたね。その後NTTパーソナル(NTTDoCoMo)になって、携帯へとつながっていきます。
1998年くらいから携帯電話にシェアが流れ出す
現ソフトバンクの前進であるデジタルツーカーグループも参入し、携帯各社主要3社の時代になります。僕もこのころピッチから携帯(NTTDoCoMo)に機種変更します。最初に持ったのは松下通信工業(現Pana)のP205でした。

当時すでに、206シリーズが出てたんですが、店員さんに「僕はこの205の方が好きなんですけど、どうですか?」と聞かれ、確かに真ん中の十字キーが205のほうがブルーのクリアでかっこいいと思ってあと在庫限り2台ですと言われたので迷わずこれにしました。軽いし、アンテナがかっこいいし、着メロ作れるしで当時としては高機能携帯でしたね。
その後、2000年代は携帯電話そのものの機能性が飛躍的に進歩した時期
2002年には、ドコモが初めてカメラ付携帯電話で撮影した静止画を別のユーザーに送信するiショットサービスの提供を開始しました。当時は画期的でしたね。料金的にはパケット定額なんてないので、パケ死(iモードなどを使いすぎて高額なパケット通信料が発生してしまい、支払えなくなる)なんて言葉も流行りました。この写真付きメールの通称、「写メ」という言葉が誕生したのは、今から13年ほど前のことになります。また、電子マネーの機能が付いた端末や、ワンセグチューナーがついたものが登場したのも、2000年代の前半のことです。ワンセグも意外と早かったんですね。
2000年代後半には、それまでの携帯電話のスタイルに新たな潮流が生まれた。
スマートフォンの登場です。07年、Appleが初代iPhoneを発表し、その翌年にソフトバンクが日本で初めてのiPhone端末となる「iPhone3G」を発売しました。また、09年にはNTTドコモが初のAndroid搭載端末を発表。本格的なスマートフォンの普及の幕開けです。
2010年以降にはスマホ時代の到来
2010年代に突入すると同時に、スマートフォンは急速に私たちの生活の中へ浸透し始めます。11年、それまでAndroid端末のみを販売していたKDDIがiPhoneの取り扱いをスタート。NTTドコモも追うように13年にiPhoneの提供を開始し、メーカーの個性が光るAndroid端末と共に、端末を選ぶ自由度も高まりました。
急激なスマホ普及に伴い、TwitterやFacebookをはじめとするSNSを使用する人も急増。またLINEなどのメッセンジャーアプリが登場・普及し、今、私たちのコミュニケーションの在り方は大きく変わりました。昔からメールで会話やチャットなんていう通信手段は存在していましたけど、LINEをはじめとするSNSの登場は文化事態を変えてしまうほどの影響力を与えましたね。ちなみにiPhoneは5Sで完成されていたと思います。
まとめ
現在、僕は20年利用していたDoCoMoをたまたま行ったドコモショップの店員の態度があるかったのと、長期利用者への特典があまりに希薄なので、やめてauでiPhone7ジェットブラックを契約しています。ここに到達するまで何台も使いましたけど、やっぱりiPhoneが最強ですね。携帯電話の歴史は長いです。そのなかでの変化は著しく僕も常に最新を取り入れてきていました。大学のときにバイト代全部つぎ込んで今でいう出会い系サイトの前身にはまったりしていました。このころは、今より全然安全で本当に出会えてしまうほどだったんです。業者が介入してませんのできれいなものです。携帯の歴史を振り返ると当時はあんなこと、こんなことあったと思いだします。
PS:僕のブログのサムネイルに最初、ボス電の画像を載せていました。これシール集めてネットでゲームして当たる奴だったんですけど、なんと当たったんですw。1万名だったと思いますけどラッキーでした。